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テクルートまっぷ「花と歴史」

花が彩る歴史探訪のはじまりです。   
スタートは観心寺です。   
 国宝金堂の朱色が目に鮮やかな観心寺は、花の寺としても知られており、春は梅園の花が満開になり花の香りに包まれます。秋には美しい紅葉が見れます。観心寺を堪能されたら国道310号線を渡り、南大門橋へ・・・。杉林と竹林が続く山道を行くと、延命寺に到着・・・春は鮮やかな新緑、初夏の頃には蓮池にきれいな蓮や睡蓮の花が咲き、秋には美しい紅葉に出逢えます。  
 田園風景から住宅街を通り三日市町駅までやってきました。古い町並みが続く高野街道は、その昔、「三日市宿」としてたくさんの旅籠屋(はたごや)が軒を連ね、高野参詣や修験道行場を回る人たちに利用され栄えました。時代をタイムスリップしたような風情ある通りには、「旧三日市交番」や「油屋跡の石碑」「八木家住宅」などがあり、文化財に触れることができる道のりです。    
 371号線を渡りこんもりとした山を目指すと、烏帽子形八幡神社の鳥居が見えてきます。烏帽子形山には楠木七城のひとつとされる烏帽子形城という山城があり、その城跡は、平成24年1月24日付けで文化財保護法に基づく史跡に指定されました。烏帽子形八幡神社は城の鎮護として創建祭祀したものと伝えられています。山道を上ると、烏帽子形公園があり、展望台からは美しい景色が見れます。   
 峠道を越えると、「ふるさと歴史学習館」があります。こちらでは、河内長野市の歴史や文化財について学ぶことができます。そして道を進むとゴールとなる「花の文化園」に到着です。   「花の文化園」では、四季折々に色とりどりの美しい植物に出逢うことができます。    

☆テクルートまっぷは、河内長野市役所4階観光政策課カウンター、河内長野駅前観光案内所に置いています。フリーペーパーとなっていますので、ご自由にお持ち帰り下さい。

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村営 光滝寺キャンプ場

河内長野市街から30分というロケーションにもかかわらず、大自然が満喫できるキャンプ場です。
施設も充実しており、お子様から大人まで安心して楽しめるキャンプ場です。

「光滝寺」は欽明天皇の御本願により行満上人が開いたと伝えられています。
滝畑に残った唯一の寺で他の廃寺から多数の仏像が移されました。
境内は、河内長野市名勝に指定され、弘法大師作と伝わる、炭焼不動尊があります。

<光滝寺キャンプ場>  
河内長野市滝畑1392-甲
TEL:0721-64-1977

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テクルートまっぷ―やまびこ―

古(いにしえ)薫る、緑なす山々、山びこがこだまする道・・・。  

河内長野の市街地を抜け、大自然いっぱいのコースです。

テクルートまっぷは、市役所4階の観光政策課カウンター、
河内長野駅前の観光案内所に置いています。

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流谷八幡神社

この神社は、石清水八幡の神体を勧請したと言われ、その創建はかなり古く、鎌倉時代にはすでに隆昌していて、田畑の寄進を受けています。
同神社に伝えられている湯釜は、延元5年(1340)の銘のある古いもので、府の文化財に指定されています。
さらに毎年、1月6日に近い日曜日に、石清水八幡から勧請した日として同神社の氏子により対岸の大杉(勧請杉)と川をはさんだ柿の木の間にしめ縄を架ける神事があります。
その他、境内には樹齢300年を越えると思われる「いちょう」の大木があり、大阪府の天然記念物に指定されています。

<流谷八幡神社>
河内長野市天見2211

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行者堂・九里石

 原町、古野町を越えて、310号線を渡ると、行者堂があり、そこに九里石があります。
九里石の横には「左 さかい四里 大坂七里 右 中本山極楽寺」と、堺や大坂への里数が示されている道標もあります。
極楽寺というのは「錦渓山 極楽寺」(河内長野市古野町)のことで、聖徳太子が推古天皇の病気平癒を願って、杉の根元に湧く冷水を汲んで差し上げるとたちまち平癒したので、太子が薬師如来を刻んで本尊としたのが極楽寺のはじまりとされています。一度、廃れてしまいましたが、元享元年(1321年)に融通念仏宗の法明上人によって再興されました。
高野山を目指して、ただ歩くだけではなく、時には、脇道に逸れて、こうした周辺の民間信仰の跡地を訪ねるのも、高野街道の1つの楽しみ方といえるでしょう。

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流谷八幡神社

この神社は、石清水八幡の神体を勧請したと言われ、その創建はかなり古く、鎌倉時代にはすでに隆昌していて、田畑の寄進を受けています。同神社に伝えられている湯釜は、延元5年(1340)の銘のある古いもので、府の文化財に指定されています。
さらに毎年、1月6日に近い日曜日に、石清水八幡から勧請した日として同神社の氏子により対岸の大杉(勧請杉)と川をはさんだ柿の木の間にしめ縄を架ける神事があります。
その他、境内には樹齢300年を越えると思われる「いちょう」の大木があり、大阪府の天然記念物に指定されています。

<流谷八幡神社>
河内長野市天見2211

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テクルートまっぷ―やまびこ―

古(いにしえ)薫る、緑なす山々、山びこがこだまする道・・・。 

河内長野の市街地を抜け、大自然いっぱいのコースです。

テクルートまっぷは、市役所4階の観光政策課カウンター、河内長野駅前の観光案内所に置いています。

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晴明塚

平安時代に活躍した陰陽師の安倍晴明が所蔵していた天文学の書物を埋めたので「晴明塚」と言われています。
安倍晴明は、和泉国信太の森の白狐『葛の葉』を母にして生まれたという伝承があって、安倍晴明の父・安倍保名と、母・葛の葉の悲恋物語は、講談や芝居となって大阪庶民のあいだで大いに流行しました。
高野街道沿いに、晴明ゆかりの土地や伝説、物語が見られるのも、こうした庶民信仰の表れといえます。
西高野街道と東高野街道の合流地点 河内長野駅前に建つ石碑には、京都・八幡へ 北東約57㎞、堺・大小路へ 北西約18㎞、高野山・女人堂へ南約35㎞ と、書かれています。

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蟹井神社

蟹井神社は、天喜2年(1054年)の創建と伝えられ創建当時は『甲斐神社」と呼ばれていました。
南北朝のころ楠氏一族が戦勝を祈願したと言われていますが、延宝4年(1676年)の火災で焼失しました。
当社の南の天見川に「蟹井の渕」があり、これが社名の起源と言われています。

10月上旬に秋祭りが行われ多くの人で賑わいます。
天見の見坂・茶屋出・島の谷の3地区から高提燈を仕立て、神社に集まり、祇園囃子を唄いながら参拝するさまは、にぎやかな中にも荘厳さがあります。本殿前にたくさんの提燈を立てかけ、続いて湯立て神事が始まります。
また、翌日には、若者たちが神輿を繰り出し祝いますが、境内の一角にある老松に力いっぱいぶつけるさまは勇壮です。


<蟹井神社>
 河内長野市天見428

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酒蔵通り

酒蔵通りは、享保三年(1718年)創醸の酒蔵、「天野酒」がある、とても風情のある街道です。
創醸期より明治末期までは「三木正宗」、大正・昭和を通しては「波乃鶴」の銘柄で親しまれてきましたが、昭和46年、天野山金剛寺のご好意や地元の方々の声援があり、古格『天野酒』を復活させることができました。
酒造りに適した高品質米を用い、高度自家精白し、朴訥な南部杜氏が手間隙を惜しまず醸し上げる一滴一滴は、芳り高く醸らかな仕上がりになっています。

猛暑の季節、夏季限定の『天野酒クール』が発売されています。
お店に行くと、冷えたあま酒サイダーや、塩サイダーなども販売されています(*^-^*)

<西條合資会社>
河内長野市長野町12-18
 TEL:0721-55-1101

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松林寺

 寺の名が示すように、こんもり茂った松林のなかに土塀をめぐらし、しずかな佇まいのお寺です。
 表門を入ると、正面に本堂があり、向かって右手に観音堂・不動堂と立ち並びますが、いずれも
小規模な三間堂でわずかに本堂が大きくなっています。本堂は、桁行3間、奥行4間半の規模で、
正・側面3方に縁をめぐらした宝形造、本瓦葺の建物で江戸時代後期の建立です。
松林寺の「紙本著色 種字両界曼荼羅図」は浄厳(じょうごん)筆の画であり、市指定文化財に指定されています。

 <松林寺>
 河内長野市松ヶ丘中町1607


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テクルートまっぷ―西高野街道コース―

 京の都と真言宗の聖地高野山を結ぶ街道は、平安時代の天皇、公家の高野参詣や
中世から盛んになる武士、庶民の高野参詣に利用されました。
この街道には、主に三つのルートがありました。
一つは東高野街道です。古代の官道のひとつ南海道が前身とも言われています。
京から石清水八幡、洞ケ峠、生駒山西麓を南下し、河内国府、富田林寺内町を経て
河内長野で西高野街道と合流します。  
西高野街道は堺の大小路を起点にして仁徳陵の北で竹内街道と別れ、河泉国境沿いを進み
狭山のくみの木、河内長野の楠町で中高野街道と合流します。
この西高野街道は京から淀川を下って大阪天満に上陸し、ここから四天王寺、住吉大社を経て
堺に出て、高野山に向かうコースと考えられます。  中高野街道は平野から真っ直ぐ南下し、
松原市阿保、堺市美原区舟渡池、菅生神社を経て狭山に向かい河内長野で西高野街道と合流します。
更に四天王寺から真っ直ぐ狭山に向かい西高野街道と合流する下高野街道がありましたが、詳細は判っていません。
この西高野街道と中高野街道が河内長野市の楠木町で、西高野街道と東高野街道が河内長野市の本町で合流し、
一本となって紀見峠に向かいました。(テクルートまっぷ 西高野街道コースより)

※テクルートマップは市役所4階の観光政策課カウンターに置いています。ご自由にお持ち帰り下さい。

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盛松寺

 盛松寺は、「与通のお大師さん」として広く親しまれてきました。

もと西高野街道に面しており、石段を登って、楼門をくぐると正面は本堂で、本尊は弘法大師であり、
高野山より伝えられたという弘法大師御影が秘仏として所蔵されています。
本堂は間口六間奥行四間で、屋根は入母屋桧皮葺で、前に唐破風の向拝があります。
弘法大師が「冬至に、柚子味噌を作って食すると疫病にならない」と伝えたという伝承があり、
それにちなみ12月21日(終い弘法)に柚子味噌が参拝者に配られます。

7月から8月にかけて、境内ではきれいな蓮の花が観れます。

 <盛松寺>
 河内長野市楠町西1211

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晴明塚

 平安時代に活躍した陰陽師の安倍晴明が所蔵していた天文学の書物を埋めたので
「晴明塚」と言われています。
安倍晴明は、和泉国信太の森の白狐『葛の葉』を母にして生まれたという伝承があって、
安倍晴明の父・安倍保名と、母・葛の葉の悲恋物語は、講談や芝居となって大阪庶民の
あいだで大いに流行しました。高野街道沿いに、晴明ゆかりの土地や伝説、物語が見ら
れるのも、こうした庶民信仰の表れといえます。

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原町の旧阿弥陀時石造物群

 十三仏板碑2基、地蔵菩薩像、観音菩薩像で構成されています。
かつてこの地の南側に位置していた、阿弥陀時(20世紀初めに廃寺)の境内にあったものと
伝えられています。
十三仏板碑には、寛永11年(1634年)に原町の庄屋・俵屋が施主となって、両親、隣組の
住人らの供養のために建立したことが記されていますが、とくに右奥の板碑は、像高228cmと
河内長野市最大級の規模で、河内長野市の有形民族文化財に指定されています。

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烏帽子形八幡神社

 烏帽子形八幡神社は、南海高野線河内長野駅と三日市町駅の中間地点で、国道371号線の西側の烏帽子形山の中腹にあり、
河内長野市のほぼ真中に位置しています。
本殿は、入母屋造で身舎は円柱。正側面三方に縁をめぐらし正面中央に木階五級をつけ、擬宝珠高欄を備えています。
建立は、室町時代の文明12年(1480)で、重要文化財の指定を受けています。
なお、烏帽子形山頂には、楠木七城のひとつと伝えられる烏帽子形城跡があり、土塁や空濠が残されています。

<烏帽子形八幡神社>
河内長野市喜多町305

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長野神社

 旧長野・古野の一部を氏地とするこの神社は、長野戎としてもよく知られています。
江戸時代中期の頃までは、木屋堂宮・牛頭天王宮とも言われ、明治元年に長野神社と改称されました。
本殿は重要文化財に指定され、室町時代末期の建築と考えられています。

10月中旬の秋のまつりには、古くから伝わる「タイマツタテ神事」が行われます。
これは、神社境内に用意された直径1m50cm高さ約5mの大松明に点火する荘厳な祭りです。
なお、境内の一角にあるカヤの木は、大阪府の天然記念物です。
境内にはケヤキの大木や、河内長野市の保護樹木に指定されている立派なイチョウもあります。

 <長野神社>
 河内長野市長野町8-19

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BICYCLE and PIZZA ACT WITH

「ACT WITH」では、自転車、スポーツサイクルの販売・修理・相談、パーツの販売・取付、ポジションのフィッティングなど、他店購入自転車でも、点検調整していただけます。 
実際に生活の中で乗り心地などを体感できるように、 自転車のレンタルもされています。  
詳しくは、お店のほうへお問合せしてください。
お店の前に専用自転車置き場がありますのでお気軽に尋ねてみてください。

ACT WITHさんのピザは、ふんわりとした食べ応えのあるアメリカンタイプのピザです♪ 
ランチタイムには、ピザSサイズにミニサラダ、スープのセット(980円)があります。

<BICYCLE and pizza"ACT WITH>
   ―自転車とピザのお店―
河内長野市本町5-10 メルベーユ1F
 TEL:0721-69-5370
●営業時間:10時~22時
●定 休 日:毎週水曜日 祝日の場合翌日


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大谷農園

フルーツランド天野山の向かい側にある大谷農園では、今の時期
 桃・梨・ネクタリンが店頭に並んでいます。
すぐ先には、関西サイクルスポーツセンターもあり、その奥には滝畑ダムやキャンプ場があります。
 夏の楽しみの一つとして、地元で採れた夏の味覚を味わってください。

<大谷農園>
TEL:0721-53-8962

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あまみ温泉 南天苑

河内長野市天見にある「あまみ温泉 南天苑」では、猛暑の暑さもすこし和らぐような、
心地よい風が吹いていました。  

涼やかな夏のプランもいろいろと、ご用意されています。  
豊かな自然に囲まれて、ゆっくりと夏の疲れが癒されて・・・ 贅沢な時間ですね。
南天苑のお庭では、蓮池に美しい大輪の花が開いていました。
ゆっくりと時間が流れていました。

7月20日~8月31日まで、プール営業をされています。
使用料金は、大人1,000円(高校生以上)、小人500円(5歳以下は無料)です。
プールご利用の方は、無料で温泉が利用できます。
ご宿泊のお客様はチェックイン前やチェックアウト後(当日のみ)に、
無料で利用できます。  
美味しいお食事と、温泉にプール♪
癒されますね~(*^-^*)

<あまみ温泉 南天苑>
 河内長野市天見158
 TEL:0721-68-8081

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三日市宿

「高野街道」とは、11世紀、高野山・熊野三山への信仰が盛んになるなか、藤原道長が高野参詣を行い、
これを機に皇族や貴族の間で高野参詣が流行し、鎌倉時代以降も武士や庶民の信仰が盛んになり、
高野山へ参詣する人々が通った道が高野街道であり、江戸時代の絵図などでは「高野街道」のほかに
「高野海道」、「高野道」とも書かれています。
高野街道には、東高野街道、西高野街道、中高野街道があり、この3つの街道が河内長野市内で合流し、
紀見峠を越え、各地から多くの人たちが高野山へ向かいました。
そして、河内長野市三日市町には、高野街道沿いに「三日市宿」という宿場がありました。
高野街道を通る人々が休憩や宿泊する為の旅籠屋(はたごや)もありました。
しかし、大正4年(1915)に、高野登山鉄道が三日市から橋本(和歌山県)まで開通したことなどから、
三日市宿は次第に役目を終えてゆきました。
(※シリーズ河内長野遺跡7 「西代藩陣屋跡」参考)

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田中ぶどう園

8月に入りました。 そろそろぶどうの季節です。

田中ぶどう園のぶどう畑では、立派なぶどうが実っていました。 
日中は太陽が降り注ぎ、夜はぐっと冷え込む気候風土は、寒暖の差を生み出し、品質の良い果樹を育みます。
山から湧き出る地下水を使用し、除草剤不使用で草と共生する栽培方法は、環境にやさしく、安全安心に配慮された取り組みです。
今週から収穫が始まってます♪ 楽しみですね~(*^-^*)

田中ぶどう園のぶどうは、JA大阪南にある農林産物直売所「あぐり」や近隣の農産物直売所で販売されます。
ぶどう園横でも採れたてのぶどうを販売されています。

 【田中ぶどう園】  
河内長野市天野町613  
TEL:0721-52-3559

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