『烏帽子形八幡神社』は、烏帽子形山の東麓に位置し、発見された棟札によると、文明十二年(1480年)に石川八郎が建立したことがわかります。また、江戸時代初め、この地の領主で最後の烏帽子形城主であったと言われている甲斐庄喜右衛門正房の子、旗本甲斐庄喜右衛門正保が元和三年(1617年)に四天王寺の普請奉行(ふしんぶぎょう)を勤め、その時の余材を使用して元和八年に神社の修繕を行ったと記録されています。
本殿は桁行三間、梁行二間の入母屋造、檜皮葺きの建物です。正面三方に縁をめぐらして、正面中央に擬宝珠をつけた五段の階段がつけられています。この建物は昭和二十五年に重要文化財に指定されています。(河内長野市役所HPより)
(※注:間・・・柱と柱に挟まれた空間の数。擬宝珠・・・丸くて先のとがった葱の頭のような飾り。普請奉行・・・土木工事の管理・監督を行う役職)
<烏帽子形八幡神社>
河内長野市喜多町305