原町、古野町を越えて、310号線を渡ると、行者堂があり、そこに九里石があります。
九里石の横には「左 さかい四里 大坂七里 右 中本山極楽寺」と、堺や大坂への里数が示されている道標もあります。
極楽寺というのは「錦渓山 極楽寺」(河内長野市古野町)のことで、聖徳太子が推古天皇の病気平癒を願って、杉の根元に湧く冷水を汲んで差し上げるとたちまち平癒したので、太子が薬師如来を刻んで本尊としたのが極楽寺のはじまりとされています。一度、廃れてしまいましたが、元享元年(1321年)に融通念仏宗の法明上人によって再興されました。
高野山を目指して、ただ歩くだけではなく、時には、脇道に逸れて、こうした周辺の民間信仰の跡地を訪ねるのも、高野街道の1つの楽しみ方といえるでしょう。