岩湧寺は、岩湧山北側の中腹に位置します。寺伝によれば大宝年間(701~704年ごろ)に文武天皇勅願により、修験道開祖である役小角(役行者)が開いたとされています。岩湧寺の山号「湧出山」は、寺の周辺が岩の湧き出ているようなところであることから名付けられたと言われています。山道を歩いていると苔むした大岩があちこちに在ります。
多宝塔は重要文化財に指定されており、三門二層の建物で、亀腹上に建てられ、室町時代の後期に建てられたものです。本尊である「大日如来坐像(重要文化財)」と「愛染明王坐像(河内長野市指定文化財)」が安置されていましたが、現在は堺市博物館に寄託されています。河内長野市指定文化財の「本堂」は柱間三間、側面は柱間四間で周囲に縁がめぐらされています。かつては、檜皮葺きでしたが、現在は銅板葺きとなっている屋根は、四角錐状で、頂部に宝珠を飾った宝形造(ほうぎょうづくり)という形式です。また正面の屋根が前方に長く伸び、庇を兼ねています。この庇は向拝と呼ばれます。様式、意匠から江戸時代初期に建てられたものと考えられています。境内には、河内長野市指定天然記念物の樹齢500年以上のカヤや杉・桧の古木があります。
毎年5月ころには、石楠花が、8月下旬から10月初旬ころまでは、シュウカイドウが見頃を迎え森に彩を添えてくれます。
梅雨のこの時期は、紫陽花が咲き始めています。(2016年6月18日撮影)
近隣には、四季彩館があり、登山客やハイキングの方々の休憩所になっています。
<岩湧寺>
河内長野市加賀田3824番地