天誅組ゆかりのコース
コース距離5km。三日市町駅から天誅組石碑や延命寺を経由して観心寺まで。
幕末の時代、公家 中山忠光が率いた「天誅組」。忠光らが向かった油屋や観心寺の地を訪れ、市域で起きた歴史の一端に触れてみましょう。
コース情報
三日市町駅
12:00 滞在時間目安: 0分
- 徒歩
- 約10分
- 0.4km
天誅組石碑
12:10 滞在時間目安: 10分
江戸時代も終りごろになると、幕府を倒して天皇を中心とした政治の仕組みを打ち立てようとする動きが生まれました。倒幕運動の先駆けとなったが文久(ぶんきゅう)3年(1863)に起きた天誅組の乱です。この天誅組は本市にも縁が深く、一行は三日市宿で休息し、観心寺を参拝したあと、奈良の五條代官所を襲撃したとされています。写真の石碑は、天誅組が宿をとった旅籠(はたご)である油屋の跡に建てられています。
- 徒歩
- 約20分
- 1.1km
くずの橋
12:40 滞在時間目安: 10分
- 徒歩
- 約20分
- 1.1km
延命寺
13:10 滞在時間目安: 40分
江戸時代の高僧、浄厳(じょうごん)が延宝(えんぽう)5年(1677)に創建したといわれています。浄厳は、招かれて江戸に赴き、5代将軍の徳川綱吉や諸大名からも帰依を受けました。
- 徒歩
- 約40分
- 2.1km
松林寺
滞在時間目安: 90分
弘法大師の高弟、実惠(じちえ)が、天長(てんちょう)2年(825)に修験道の寺院であった雲心寺を整備して、山号を檜尾山、寺号を観心寺に改めたのが寺の中興であるとされています。戦国時代に描かれた絵図には中心伽藍(がらん)をはじめとして多くの子院(付属寺院)が描かれています。また、観心寺は楠木正成ゆかりの寺としても知られ、正成を尊敬する中山忠光ら天誅組一行が五條代官所を襲撃する前に訪れ、楠公首塚で決起したと伝えられています。
- バス
- 約15分
- 3.7km
河内長野駅前
16:15 滞在時間目安: 0分