創建年代は不詳ですが、天見川や石川の交流地点であることから、古くから水上交通の要所として栄えていたものと思われます。江戸時代中期頃までは「木屋堂(こやど)の宮」「牛頭天王宮」と呼ばれていましたが、慶応4年(1868年)に長野神社と改称されました。
この「木屋堂(こやど)」は、正和2年(1313年)の後宇多院御幸記や、元弘3年(1333年)の粉河寺文書、応永6年(1399年)の日野観音寺大般若経奥書などに記事が見られます。
本殿は、一間社流造りで、正面に千鳥破風と軒唐破風がつき、屋根は檜皮葺きです。一間社流の本殿は、国指定の重要文化財で、室町時代後期に建立されたと推定されています。「こやど」とは、木材の収集場所を意味する言葉ですが、ここ天見川上流、石川上流の山林から伐採した木材を集めて、石川下流の富田林や古市、陸地では高野街道を通じて堺、平野、大阪、京都などへ出荷されていたと考えられます。「こやどの宮」らしく、境内にある大きなかやの木は、幹周り約4m、高さ17mほどもあり、これは府下最大の規模で、大阪府指定の天然記念物となっています。
長野神社では大きな祭礼行事がふたつあり、ひとつは、1月10日に行われる『長野戎(十日戎)』、もうひとつは10月11日に行われる『タイマツタテ』です。『タイマツタテ』は秋祭りの大祭に行なわれるもので、江戸時代の元禄14年(1701年)の記録が残っていて300年以上の歴史を持っています。高さ5m、胴回り4.5mの大タイマツが境内に立つ姿は圧巻です。
<長野神社>
河内長野市長野町8-19
0721-52-2004
●アクセス●
南海・近鉄「河内長野」駅下車、南へ徒歩5分