高野街道の岩瀬に入り、天見川に架かる橋を渡った最初の辻が「御所ノ辻」と呼ばれています。三叉路になっていて、大神宮常夜燈と道標、地蔵堂があります。この辻から高野街道を600m南へ行くと『松明屋』と横書きした額と、『粽大師松明堂』と縦書きの表札を掲げたお堂があります。お堂の横には「おたいまつの木 北い組 明治二八年五月建立」と刻まれた石碑が建てられています。
弘法大師が京都・東寺から高野山に百箇日参りをし、最終日の百日目を迎えたとき、この地で夜明けを迎えられました。明るくなったので松明を大地に突き刺すと、松明から根が伸びて、みるみるうちに大木に成ったという伝承があります。また、弘法大師が京都の嵯峨天皇に参内するため高野山から降りて来た際に、松明屋付近の村人にもてなしを受けたお礼に、「おしえたる 粽は千と歳の後までも あしきやまいはたちさりぬとぞ」と、粽の製法を教えたといいます。
弘法大師直伝の粽は、食べれば病人がたちまち治ってしまう霊験あらたかな『大師粽』として、高野山への参詣者が数多く求めたといいます。