西高野街道の木戸西町と原町の間に、街道に面して『晴明塚』が建っています。
陰陽師として名高い安倍晴明にまつわる伝承が残っています。
晴明が、時の天皇と一緒に高野山を参詣した時のこと、晴明が当時の最先端の学問である天文学や暦学を使って天気を占い、晴れとでたため、天皇の行幸が行なわれましたが、この地を通りかかると老人が「そろそろ雨が降るなぁ」とつぶやくのを耳にしますが、晴明は前へ進みます。しかし、紀見峠にさしかかると大雨になりました。
晴明は、帰り道にこの老人に話を聴くと、日ごろの自分の身体の具合でお天気が分かるといいました。
学問に頼るのではなく、日頃から身をもって経験することの大切さを知った晴明は、自分の浅はかさを恥じて、この地に天文学や暦学の書物などを埋めたと言われています。