観心寺は、奈良時代の初め(701年)役行者によって開創され、初め雲心寺とよばれていました。
平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年)衆生の除厄のため本尊如意輪観音菩薩を刻まれ、寺号を『観心寺』と改称されました。
『本尊如意輪観音菩薩』は、彩色の六臂(手が六本)像で、像高109.4cm、如意宝珠を持つので如意輪観音と言います。平安時代の密教美術の最高の仏像と言われており、国宝 秘仏です。 弘法大師は、寺の造営を一番弟子の実恵に任せ、その後、真言密教の修行寺院、歴代天皇祈願所として、また高野山と奈良、京都の中宿として発展しました。
南北朝時代、後醍醐天皇は、楠木正成を奉行として『金堂』を造営されました。『金堂』は、大阪府下最古級の国宝建造物です。
境内には、楠公建掛塔(重要文化財)、鎮守堂(重要文化財)、後村上天皇陵、楠木正成首塚があり、日本唯一の星塚があります。
【星塚】
金堂をとりまく七つの星塚(北斗七星)は、弘法大師が厄除のために本尊と一緒にお祀りしたもので、昔からこの星塚を一巡することで、その年の厄が払われると言われています。