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烏帽子形八幡神社~烏帽子形城跡~

 「烏帽子形八幡神社」は、烏帽子形山の東麓に位置し、発見された棟札によると、文明十二年(1480年)に石川八郎左衛門尉が本殿を建立したことがわかっています。また、江戸時代にこの辺りを治めていた旗本の甲斐庄正保(かいのしょうまさやす)が元和三年(1617年)に四天王寺の普請奉行を勤め、その時の余材を使用して元和八年(1622年)に社殿の修繕を行ったと記録されています。
 本殿は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間の入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。正面中央に擬宝珠(ぎぼし)をつけた五段の階段が付けられており、昭和二十五年に国の重要文化財に指定されました。
(間:柱と柱に挟まれた空間の数。擬宝珠:丸くて先のとがった葱の頭のような飾り。普請奉行:土木工事の管理、監督を行う役職)

 烏帽子形八幡神社は、江戸時代の観光ガイドブック『河内名所図会』<享和元年(1801年)出版>にも、烏帽子の形に似ている烏帽子山と共に高野街道を往来する人々が訪れる名所として描かれています。(河内長野市教育委員会発行 シリーズ河内長野の遺跡6『烏帽子形城跡』より)

 標高182mの烏帽子形山の頂上部に烏帽子形城跡があります。金剛葛城山地からのびる丘陵の先端にあり、北に広がる平地を見渡し、東側を天見川、西側を石川が流れ、烏帽子形山の北側で天見川と石川が合流する為、三方を川に囲まれた天然の要害の地にあると言えます。また、城の東側を高野街道、南側を和泉路が通り交通の要所にもありとても重要な場所に城が築かれていたことがわかります。*平成24年1月に烏帽子形城跡が国指定史跡になりました。
(現在は烏帽子形山公園内にあり、広場や遊歩道になっています。)
 発掘調査により出土した品は、河内長野市立ふるさと歴史学習館に展示保管されています。

◎烏帽子形八幡神社
河内長野市喜多町305

◎河内長野市立ふるさと歴史学習館
大阪府河内長野市高向2230-5
TEL:0721-64-1560

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