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地域情報

奥河内さくら公園―長野地区―

 河内長野駅から南東へ300mのところに『奥河内さくら公園』があります。
木立に囲まれた階段を上ると、緑の広場があり、回廊風展望休憩所や、児童遊技場があり、四季を通してたくさんの利用者で賑わいます。
春には、桜が咲き誇り山が薄ピンク色に染まります。初夏のこの季節は、展望台へ上る途中にある森の中が紫陽花の花で染まります。   
 奥河内さくら公園の「あじさい園」は、今が見ごろとなっています。
まだまだ小さな蕾もたくさんついていますので、しばらくは森の中に咲く紫陽花が楽しめそうですね。

(*^-^*)

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長野神社

 創建年代は不詳ですが、天見川や石川の交流地点であることから、古くから水上交通の要所として栄えていたものと思われます。江戸時代中期頃までは「木屋堂(こやど)の宮」「牛頭天王宮」と呼ばれていましたが、慶応4年(1868年)に長野神社と改称されました。   
 この「木屋堂(こやど)」は、正和2年(1313年)の後宇多院御幸記や、元弘3年(1333年)の粉河寺文書、応永6年(1399年)の日野観音寺大般若経奥書などに記事が見られます。   
 本殿は、一間社流造りで、正面に千鳥破風と軒唐破風がつき、屋根は檜皮葺きです。一間社流の本殿は、国指定の重要文化財で、室町時代後期に建立されたと推定されています。「こやど」とは、木材の収集場所を意味する言葉ですが、ここ天見川上流、石川上流の山林から伐採した木材を集めて、石川下流の富田林や古市、陸地では高野街道を通じて堺、平野、大阪、京都などへ出荷されていたと考えられます。「こやどの宮」らしく、境内にある大きなかやの木は、幹周り約4m、高さ17mほどもあり、これは府下最大の規模で、大阪府指定の天然記念物となっています。

 長野神社では大きな祭礼行事がふたつあり、ひとつは、1月10日に行われる『長野戎(十日戎)』、もうひとつは10月11日に行われる『タイマツタテ』です。『タイマツタテ』は秋祭りの大祭に行なわれるもので、江戸時代の元禄14年(1701年)の記録が残っていて300年以上の歴史を持っています。高さ5m、胴回り4.5mの大タイマツが境内に立つ姿は圧巻です。

 <長野神社>  
河内長野市長野町8-19  
0721-52-2004  
●アクセス●
南海・近鉄「河内長野」駅下車、南へ徒歩5分

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烏帽子形八幡神社

 烏帽子形八幡神社は、高野街道の西側にあたる烏帽子形山の東麓に位置します。本殿の解体修理を行なった際に発見された棟札(むねふだ)によると、文明12年(1480)に石川八郎が建立したことがわかりました。また、江戸時代初め、この地の領主で最後の烏帽子形城主であったと言われている甲斐庄喜右衛門正房の小、旗本甲斐喜右衛門正保つが、元和三年(1617)に四天王寺の普請奉行(ふしんぶぎょう)を務め、そのときの余材を使用して元和8年に神社の修繕を行なったと記録されています。   
 本殿は、桁行3間、梁行2間の入母屋造、檜皮葺きの建物です。正面三方に縁をめぐらして、正面中央に擬宝珠をつけた5段の階段がつけられています。この建物は昭和25年に重要文化財に指定されています。  

<烏帽子形八幡神社>  
河内長野市喜多町305  
●アクセス●
南海・近鉄「河内長野」駅下車、南海バス「郵便局前」下車西へ徒歩5分

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