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 観光ボランティア倶楽部では、ガイドによる『観心寺』『天野山金剛寺』での待ち受けガイドを実施しています。秋が深まり行く良い日和に、貴重な文化財の解説を聴きながらゆっくりと散策をしてみるのもいいですね。
*雨の場合等、事情により中止になる場合があります。

【待ち受けガイド実施予定日程】
☆ガイド料:一人100円(2名様以上)
◆観心寺:10時~15時30分
山門を入ったところでお待ちしています。
◎9月16日・17日・18日・23日・24日・30日
◎10月1日・7日・8日・9日・14日・15日・21日・28日・29日
◎11月3日・4日・5日・11日・12日・18日・19日・20日・21日・22日・23日・25日・26日・27日・28日・30日

◆天野山金剛寺:10時~16時
山門前でお待ちしています。
◎11月3日

 観光ボランティア倶楽部では、「天野山金剛寺」「高野街道」「観心寺」「延命寺」「滝畑」の5拠点でのガイドやウォーキングコースのご案内を行っています。お気軽にご相談下さい。

<ガイドコースのお問合せ先>
「かわちながの観光ボランティア倶楽部」
河内長野市観光案内所
TEL:0721-55-0100
営業時間:9時~16時(第2水曜日・年末年始休み)

<ガイド申込書の送付先>
観光ボランティア倶楽部事務局
(河内長野市役所産業観光課内)
TEL:0721-53-1111
FAX:0721-55-1435

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 ☆「大日如来坐像」・「不動明王坐像」・「降三世明王坐像」
が国宝に指定されたことを祝して、横断幕を作成し市役所市民ホールに設置しています。市役所へ来られた際にはご覧になってください。1週間ほど市役所で見ていただいた後には、河内長野駅前のノバティ北館から南館へ渡る連絡通路の欄干に設置する予定です。

 天野山金剛寺は、奈良時代(天平年間)に聖武天皇の勅願により僧 行基により開創され、平安時代末期に阿観が再興拡充したと伝えられています。
 平安末期の栄万元年(1165)、阿観僧正が寺の再興を朝廷に奏上し、後白河法皇と皇女八条院が承安元年(1171)に、金堂・宝塔・御影堂・鐘楼・食堂・中門などを建立しました。

 天野山金剛寺は、敵対関係にあった北朝と南朝が4年もの間、同舟していたという希有な歴史があります。
☆南朝後在所:摩尼院
 足利氏の内紛によって勢力を盛り返した南朝の後村上天皇は、1354年 天野山金剛寺院子摩尼院を御在所とされ南朝の行宮となった。

☆北朝後在所:観蔵院
 足利氏の内紛によって勢力を盛り返した南朝軍の京都奪回の時に、北朝の三上皇(光厳こうごん・光明こうみょう・崇光すこう)が、足利尊氏により天野山金剛寺に幽閉された。

 天野山金剛寺では、平成21年より始まった金堂の修復が完成の日を迎えようとしています。楼門を入ると、目に鮮やかな朱色に染まった金堂の姿を見ることが出来ます。
来年3月27日に開催されます『落慶法要』には、現在京都と奈良の博物館で保管展示されいる「大日如来坐像」「不動明王坐像」「降三世明王坐像」がお戻りになられます。
(詳細はお寺へお問合せ下さい。)

・現在の保管展示場所
★大日如来坐像・不動明王坐像:京都国立博物館
★降三世明王坐像:奈良国立博物館

◎天野山金剛寺
河内長野市天野996
TEL:0721-52-2046

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烏帽子形八幡神社~烏帽子形城跡~

 「烏帽子形八幡神社」は、烏帽子形山の東麓に位置し、発見された棟札によると、文明十二年(1480年)に石川八郎左衛門尉が本殿を建立したことがわかっています。また、江戸時代にこの辺りを治めていた旗本の甲斐庄正保(かいのしょうまさやす)が元和三年(1617年)に四天王寺の普請奉行を勤め、その時の余材を使用して元和八年(1622年)に社殿の修繕を行ったと記録されています。
 本殿は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間の入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。正面中央に擬宝珠(ぎぼし)をつけた五段の階段が付けられており、昭和二十五年に国の重要文化財に指定されました。
(間:柱と柱に挟まれた空間の数。擬宝珠:丸くて先のとがった葱の頭のような飾り。普請奉行:土木工事の管理、監督を行う役職)

 烏帽子形八幡神社は、江戸時代の観光ガイドブック『河内名所図会』<享和元年(1801年)出版>にも、烏帽子の形に似ている烏帽子山と共に高野街道を往来する人々が訪れる名所として描かれています。(河内長野市教育委員会発行 シリーズ河内長野の遺跡6『烏帽子形城跡』より)

 標高182mの烏帽子形山の頂上部に烏帽子形城跡があります。金剛葛城山地からのびる丘陵の先端にあり、北に広がる平地を見渡し、東側を天見川、西側を石川が流れ、烏帽子形山の北側で天見川と石川が合流する為、三方を川に囲まれた天然の要害の地にあると言えます。また、城の東側を高野街道、南側を和泉路が通り交通の要所にもありとても重要な場所に城が築かれていたことがわかります。*平成24年1月に烏帽子形城跡が国指定史跡になりました。
(現在は烏帽子形山公園内にあり、広場や遊歩道になっています。)
 発掘調査により出土した品は、河内長野市立ふるさと歴史学習館に展示保管されています。

◎烏帽子形八幡神社
河内長野市喜多町305

◎河内長野市立ふるさと歴史学習館
大阪府河内長野市高向2230-5
TEL:0721-64-1560

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