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2017年8月28日

『西代神楽』~西代神社~2017

 西代神楽は、享保十七年西代藩主本多忠統(ただむね)が、河内西代藩陣屋から伊勢神戸に転封(てんぽう)された際、その徳をしのんで西代神社に奉納したのが始まりとされています。

 緋色の敷物を敷いた二間半四方の舞場を設け、四方に斎竹を立て注連縄を張り、その中で神楽が行われます。
 神楽は、鳴物・舞方・後見役で構成され、笑いあり、ハラハラどきどき、目が離せません。

 西代神楽は伊勢神楽系統の代表的なもので、その演目は計十曲から成り、獅子役と囃子方は、紺の着物に茶褐色の袴という揃いの服装で、真似師と言われる道化役のみ別の服装です。

 『西代神楽』は、河内長野市指定無形民俗文化財になっています。

*転封(てんぽう):幕府の命令で、大名の領地を他に移すこと。
*斎竹(いみだけ):神様を迎える清浄な場所の表示として、青竹を祭場の四隅に立てること。
*注連縄(しめなわ):竹の上部約2メートル高さで右奥(艮(うしとら)の方=東北)の隅より時計回りに張りめぐらす縄のこと。

■開催日時:2017年10月6日(金)19時~21時くらい
■開催場所:西代神社境内

<西代神社>
河内長野市西代町16-5
TEL:0721-53-1762
*河内長野駅より徒歩約10分(ラブリーホール裏)

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烏帽子形八幡神社~烏帽子形城跡~

 「烏帽子形八幡神社」は、烏帽子形山の東麓に位置し、発見された棟札によると、文明十二年(1480年)に石川八郎左衛門尉が本殿を建立したことがわかっています。また、江戸時代にこの辺りを治めていた旗本の甲斐庄正保(かいのしょうまさやす)が元和三年(1617年)に四天王寺の普請奉行を勤め、その時の余材を使用して元和八年(1622年)に社殿の修繕を行ったと記録されています。
 本殿は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間の入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。正面中央に擬宝珠(ぎぼし)をつけた五段の階段が付けられており、昭和二十五年に国の重要文化財に指定されました。
(間:柱と柱に挟まれた空間の数。擬宝珠:丸くて先のとがった葱の頭のような飾り。普請奉行:土木工事の管理、監督を行う役職)

 烏帽子形八幡神社は、江戸時代の観光ガイドブック『河内名所図会』<享和元年(1801年)出版>にも、烏帽子の形に似ている烏帽子山と共に高野街道を往来する人々が訪れる名所として描かれています。(河内長野市教育委員会発行 シリーズ河内長野の遺跡6『烏帽子形城跡』より)

 標高182mの烏帽子形山の頂上部に烏帽子形城跡があります。金剛葛城山地からのびる丘陵の先端にあり、北に広がる平地を見渡し、東側を天見川、西側を石川が流れ、烏帽子形山の北側で天見川と石川が合流する為、三方を川に囲まれた天然の要害の地にあると言えます。また、城の東側を高野街道、南側を和泉路が通り交通の要所にもありとても重要な場所に城が築かれていたことがわかります。*平成24年1月に烏帽子形城跡が国指定史跡になりました。
(現在は烏帽子形山公園内にあり、広場や遊歩道になっています。)
 発掘調査により出土した品は、河内長野市立ふるさと歴史学習館に展示保管されています。

◎烏帽子形八幡神社
河内長野市喜多町305

◎河内長野市立ふるさと歴史学習館
大阪府河内長野市高向2230-5
TEL:0721-64-1560

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