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2015年6月15日

原町の旧阿弥陀寺跡石造物群

 西高野街道沿いの原町付近に石造物群があります。 この石造物群は、十三が刻まれた板碑2基、地蔵菩薩立像1体、観音菩薩立像1体から成り、現在は原町地蔵講によって祭られています。
※十三仏・・・初七日から三十三回忌までの13回の法要に割り当てた十三体の仏・菩薩のこと

 この場所の南側にはかつて阿弥陀時という寺院があり、本はこの寺院の境内にありましたが、明治時代に廃寺になったため、この場所に祭られるようになったと言われています。

 十三仏板碑には、寛永十一年(1634年)に原町の庄屋・俵屋が施主となって、両親、隣組の住人らの供養のために建立したことが記されていますが、とくに右奥の板碑は、像高228cmあり、河内長野市最大級の大きさで河内長野市の有形民俗文化財に指定されています。

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『晴明塚』

  西高野街道の木戸西町と原町の間に、街道に面して『晴明塚』が建っています。
陰陽師として名高い安倍晴明にまつわる伝承が残っています。   
 晴明が、時の天皇と一緒に高野山を参詣した時のこと、晴明が当時の最先端の学問である天文学や暦学を使って天気を占い、晴れとでたため、天皇の行幸が行なわれましたが、この地を通りかかると老人が「そろそろ雨が降るなぁ」とつぶやくのを耳にしますが、晴明は前へ進みます。しかし、紀見峠にさしかかると大雨になりました。   
晴明は、帰り道にこの老人に話を聴くと、日ごろの自分の身体の具合でお天気が分かるといいました。
 学問に頼るのではなく、日頃から身をもって経験することの大切さを知った晴明は、自分の浅はかさを恥じて、この地に天文学や暦学の書物などを埋めたと言われています。

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