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2015年6月19日

高野山真言宗 遺跡本山 観心寺

   盛松寺は、大同三年六月(808年) 弘法大師が唐に留学され、帰朝後勅命を受け泉州槇尾山に修業道場を求め巡鍚の途次、この地で昼食を食べられたそうです。
 
 当時、この地で疫病が流行っており、それを見た弘法大師が、村人に井戸に汚水が入り込まないために排水路の設置など衛生的な指導と、冬至に柚子と味噌で『柚子みそ』を作り、それを食することによって身体が健康になり、疫病にかかって苦しむことは無くなると、その製法を伝えられたという伝承が残っています。
 
 盛松寺では、お大師さまがお教えになりました「柚子味噌」を、毎年12月21日(終い弘法)に、参拝者にお供物として配られています。  梅雨の今の季節、境内には、美しい蓮の花が咲き誇っています。  

<盛松寺>  
河内長野市楠町西1211番地
TEL:0721-53-3037
南海高野線千代田駅より西へ800m

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高野山真言宗 遺跡本山 観心寺

 観心寺は、奈良時代の初め(701年)役行者によって開創され、初め雲心寺とよばれていました。

 平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年)衆生の除厄のため本尊如意輪観音菩薩を刻まれ、寺号を『観心寺』と改称されました。

 『本尊如意輪観音菩薩』は、彩色の六臂(手が六本)像で、像高109.4cm、如意宝珠を持つので如意輪観音と言います。平安時代の密教美術の最高の仏像と言われており、国宝 秘仏です。  弘法大師は、寺の造営を一番弟子の実恵に任せ、その後、真言密教の修行寺院、歴代天皇祈願所として、また高野山と奈良、京都の中宿として発展しました。  

 南北朝時代、後醍醐天皇は、楠木正成を奉行として『金堂』を造営されました。『金堂』は、大阪府下最古級の国宝建造物です。  
 境内には、楠公建掛塔(重要文化財)、鎮守堂(重要文化財)、後村上天皇陵、楠木正成首塚があり、日本唯一の星塚があります。

【星塚】
金堂をとりまく七つの星塚(北斗七星)は、弘法大師が厄除のために本尊と一緒にお祀りしたもので、昔からこの星塚を一巡することで、その年の厄が払われると言われています。

☆観心寺公式ホームページ
☆観心寺ブログ

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