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2015年6月18日

烏帽子形城跡―国指定 史跡―

 史跡の対象となっているのは、文明十二年(1480年)建立と考えられる重要文化財烏帽子形八幡神社本殿のある同神社境内と山頂の烏帽子形城跡、それに同丘陵北側斜面中腹に存在する円墳一基です。  
 烏帽子形城跡は、標高182mの烏帽子形山の頂上部に位置する中世の城跡です。発掘調査により主廊、腰廊や空堀、土塁などが確認されています。その立地は自然地形を極めて巧妙に利用し、また高野街道を取り込む形で作られていたことは確かで、紀伊北部と河内南部を結ぶ重要路を戦略的に押さえていたものと考えられます。  
頂上より北に派生する稜線上烏帽子形山の中腹平坦部、西方から北方にかけての眺望の優れた所に、直形20m、高さ3mを計測する円墳一基があります。墳頂部は若干削平されており、また、墳丘東斜面裾部に封土の流失が認められるものの、比較的保存状態が良い古墳です。
 以前、乱掘を受けた際、自然石で構築された横穴式石室羨道(せんどう)部が確認され、古墳時代後期のものと推定される。  

 平成24年1月24日付けで文化財保護法に基づく史跡に指定されました。

 また、烏帽子形公園内には遊歩道、ハイキングコース、展望台、遊具などがあり、夏になると市民プールがオープンします。

☆シリーズ河内長野の遺跡6「烏帽子形城跡」にわかりやすく解説されています。

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「松林寺」

 西国三十三度巡礼満願供養塔を越えて、松ヶ丘中町に入ると見えてくるのが松林寺です。
享保年間(1716~1735)に、摂津国住吉村の光明院諦空法印が著した「住吉高野往来」には、「四津の坂 登りて老の 跡見れば 松林寺に鳴 入相の鐘」(いりあいの鐘とは、夕方に打つ鐘のことです)と歌われていて、高野参詣の信者に、その晩鐘が親しまれていたことが記載されています。
  「紙本著色 種字両界曼荼羅図」は、慧忍上人の依頼で延命寺(河内長野市神ガ丘)の淨厳上人が描いたもので、市指定文化財になっています。

【絵画・両界曼荼羅図一対】―市・指定文化財―
 延命寺開基の淨厳和尚は、河内長野市の生んだ最も偉大な人物の一人で江戸時代中期頃の名僧である。  和尚は晩年江戸に招かれ、将軍綱吉の帰依を得たが、それよりも梵語の研究と真言宗を再興した功績が高く評価されています。この寺に残されたこの金剛界、胎蔵界の種字曼荼羅図は、松林寺がまだ庵の頃に、庵主恵忍和尚の求めに応じて授筆奉写したもので、ときに五十三才、すでに江戸に下っていた頃のことです。  梵語の大家が梵字(種字)で画きあげた真言密教の真髄、佛の本質を所有するものを意味する曼荼羅図一対をこの寺に贈られた意義は誠に大きく郷土研究に当って第一級の資料と言うことが出来ましょう。  

<松林寺>  
河内長野市松ヶ丘中町

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流谷八幡神社 『湯立て神事』

 河内長野市天見にある流谷八幡神社で、『湯立て神事』が開催されます。

◆日時:2015年7月12日(日) 10:30~

 湯立て神事は、まず神庭を洗浄した後、湯釜を拝殿の前に置き、お湯をたぎらせ神米と神酒と塩を加え、笹葉でかきまぜ、その熱湯を笹葉で氏子たちに振りまくようにかける神事であり、無病息災、家内安全を祈願するものです。  
 この湯釜は、鍔をめぐらせた羽釜に獣脚三足を備えた鉄製の湯釜で、府指定文化財になっています。

<流谷八幡神社>
河内長野市天見2211
●アクセス●
南海高野線「天見」駅下車 西へ徒歩15分

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