史跡の対象となっているのは、文明十二年(1480年)建立と考えられる重要文化財烏帽子形八幡神社本殿のある同神社境内と山頂の烏帽子形城跡、それに同丘陵北側斜面中腹に存在する円墳一基です。
烏帽子形城跡は、標高182mの烏帽子形山の頂上部に位置する中世の城跡です。発掘調査により主廊、腰廊や空堀、土塁などが確認されています。その立地は自然地形を極めて巧妙に利用し、また高野街道を取り込む形で作られていたことは確かで、紀伊北部と河内南部を結ぶ重要路を戦略的に押さえていたものと考えられます。
頂上より北に派生する稜線上烏帽子形山の中腹平坦部、西方から北方にかけての眺望の優れた所に、直形20m、高さ3mを計測する円墳一基があります。墳頂部は若干削平されており、また、墳丘東斜面裾部に封土の流失が認められるものの、比較的保存状態が良い古墳です。
以前、乱掘を受けた際、自然石で構築された横穴式石室羨道(せんどう)部が確認され、古墳時代後期のものと推定される。
平成24年1月24日付けで文化財保護法に基づく史跡に指定されました。
また、烏帽子形公園内には遊歩道、ハイキングコース、展望台、遊具などがあり、夏になると市民プールがオープンします。
☆シリーズ河内長野の遺跡6「烏帽子形城跡」にわかりやすく解説されています。