奥河内サイクリングには、パーク&サイクルランドがおすすめ!
拠点となる道の駅くろまろの郷は、駐車場が完備され、駐車料金も無料!
イートインスペース完備のパン工房や地産地消レストラン、農産物直売所があり、奥河内の恵みに出会うことができます。レンタサイクルも完備で、クロスバイクや電動アシストクロスバイク、幼児1人乗せの電動アシスト自転車や子供用の自転車もご用意しているので、お子様も一緒に楽しめます!
館内まるごと展示スペースのふるさと歴史学習館では、時代をさかのぼる常設展示室をはじめ、エントランスも収蔵庫も見どころ満載!河内長野市の歴史はここに来れば網羅できると言っても過言ではありません!この地に伝わる歴史を学び、体験することができます。これから回る河内長野の名所にまつわる歴史を予習するにはうってつけです!
体験プログラムも充実していて、弥生時代の稲刈り道具「石包丁」をアクセサリーに仕上げてみたり、かつて河内長野の特産品だった「河内木綿」をイメージして学習館で育てられているふわふわの綿の実を、藍染めした布で包んでネックレスを作ったり、ほかにも盛りだくさんのプログラムをお手頃な価格で体験できます。
奈良時代、行基によって開かれたと伝えられており、弘法大師空海も修行した聖地と言われています。その後、一時荒廃してしまいますが、平安時代末期に和泉国出身の僧侶・阿観上人が再興しました。山々に囲まれた谷間に広がる境内には、中世から変わらない建物が点在。後白河天皇の妹・八条女院が帰依し、女性の参拝を受け入れた金剛寺は「女人高野」とも呼ばれます。南北朝時代に入ると、金剛寺は南朝の重要な拠点となり、各時代の権力者とも深いかかわりを持つようになりました。国宝や数多くの重要文化財を擁する河内長野市が誇る名刹は必見です。一度ここで心静かにお参りしましょう。
https://kankou-kawachinagano.jp/spot/detail.cgi?id=2堺市・河内長野市と接する大阪狭山市の最南端に位置する石地蔵。目や鼻などの身体中すべての穴の病気に霊験がある地蔵として、遠方からも参詣者が絶えないほど。近年は、子宝を授かる地蔵として信仰を集めています。(穴地蔵の案内板より)
途中から山道ともいえるような木々に囲まれた細い道を抜けると、府道38号線に出ます。自動車がすぐ横を通る車道なので運転には十分ご注意ください。セブンイレブンでトイレ休憩や水分補給を済ませましょう。府道を北東に進むと、西高野街道と交わる地点があるので、ここから西高野街道を通り、街道の終点となる河内長野駅周辺に向けて南下します。
河内長野市の玄関口ともいえる、河内長野駅。ここまで既に約16kmの距離を走りました。お腹もすいていることでしょう。ランチにオススメのお店をルートに沿って順にご紹介します!
河内長野駅周辺の前に、千代田駅周辺の「Psyche(プシューケ)」をご紹介。ちょうどコース沿いに店舗があるプシューケは、フランス料理にもかかわらず、リーズナブルでドレスコードが不要なのはサイクリストには嬉しいポイント!各メディアに採り上げられており、中でも評判の特製ロールケーキは、ランチタイム以外でもドリンクとセットでお得にいただけるので、ぜひ一度味わってみてください!
それでは河内長野駅周辺のお店です。駅に向かうルートを少し右に入ると、緑のひさしの下に自転車が並ぶ「ACT WITH」があります。自転車とピザという異色の組み合わせですが、どちらもオーナーの愛にあふれています!生地からこだわって作る10種類のピザはふんわりしていて食べ応えもしっかりあります。オーナーに奥河内サイクリングの途中だと話したら、メンテナンスもバッチリに、穴場スポットも教えてもらえるかもしれませんよ?
続いて商店街を抜けてすぐの信号を渡らずに、右折して50mほど直進すると右手に懐石料理「喜一」が見えてきます。日本料理の名店で、1階の調理場はオープンキッチンになり、迫力ある調理を目の前で楽しむことができます。京都の老舗で10年間修業を積んだ亭主が、地元である河内長野で日本料理の腕を日々磨き続けています。落ち着いた雰囲気でご褒美ランチを食べたい方にはオススメです!
次に少しルートから外れたところにあるインドネシア料理「BALI COFFEE」をご紹介します。異国感漂う店内で、お手頃価格の本格的なインドネシア料理が楽しめます!聞いたことのないメニューもあるかもしれませんが、写真付きのメニュー表なので安心して選べます。定番のナシゴレンやカレーをはじめ、インドネシア伝統食の大豆ミートや名物の揚げバナナも食べられます。本場のスパイスを使いつつも、日本人の口に合うように辛さを調節しているので、辛いのは苦手という方でも一度チャレンジしてみては?テイクアウトも可能なので、お店の裏の河原で食べるのもオススメです!
最後に、季節料理「三佳屋」は、次に訪れるチェックポイント「天野酒・西條合資会社」を少し進んだところにお店を構えています。1987年に堺市で創業し、堺で20年、難波で10年、大阪で愛され続けてきたお店です。うどんをはじめ、和食の数々を季節に合わせた地元の食材や出汁にこだわって作られています。うどん打ちや書道の体験もおこなっていて、海外から訪れる方もいらっしゃるようです。オススメはテイクアウトもできる「究極のかれいぱん」で、一般的なカレーパンに比べて縦長で食べ応え抜群です!
各店舗の詳細はページ下段マップ下の詳細ファイルをご覧ください。
古くから天野山金剛寺で作られていた僧坊酒。室町~戦国時代にかけては豊臣秀吉など著名な武将にも好まれました。現在、天野酒を製造している西條合資会社は、享保3年(1718年) から続く河内長野の酒蔵。旧店舗は国の有形文化財に登録されています。作るお酒は芳り高く醇らかで、酒通からも高い評価を得ています。
ランチ後のデザートに甘酒サイダーと酒粕アイスを楽しんで、お土産の日本酒は発送対応が可能です。
山の形から名前が付いたという烏帽子形山の中腹にある神社で、かつて存在した烏帽子形城の守護を祈って建てられたといわれています。室町時代の1480年に河内源氏の末裔・石川八郎が建立し、本殿は国の重要文化財に指定されています。江戸時代初期にこの地の領主で最後の烏帽子形城主とされる旗本甲斐庄喜右衛門正保が神社の修繕をしたと記録に残っています。
https://kankou-kawachinagano.jp/spot/detail.cgi?id=4 東高野街道・西高野街道・中高野街道の3つの高野街道が合流し、1本となった高野街道を通り、三日市町駅へと向かいます。途中には、かつて宿場町として栄えた三日市宿(みっかいちしゅく)があります。多くの旅籠(はたご)があり、その中でも油屋は大名や旗本が宿泊する本陣として使われていました。江戸時代には、観心寺や金剛寺にも参詣する人が多くなり、大変にぎわったといいます。
現在でも八木家住宅などが残っており、当時の様子をうかがうことができます。
701年に役小角(えんのおづぬ)が、「雲心寺」と称して開き、815年弘法大師が如意輪観音菩薩(国宝)を刻まれました。これを本尊として弘法大師の高弟・実惠(じちえ)が修験道の寺院であった雲心寺を整備し、825年、山号を檜尾山、寺号を観心寺に改めたのが寺の中興であるとされています。南北朝時代の武将・楠木正成の幼少期の学問所としても知られ、南朝ゆかりの寺としても有名です。ほかにも金堂(国宝)や、建掛塔(重要文化財)など文化財も多数所蔵されており、春の梅や桜、秋の紅葉、冬の雪景色など四季折々の風景も楽しめるので、一年を通じて多くの参拝客が訪れます。
https://kankou-kawachinagano.jp/spot/detail.cgi?id=1かつては鳩原神社という名前で、スサノオノミコトを祭神としていましたが、1907年に近隣の神社が合祀され、川上神社となりました。本殿の裏には、観心寺の創建に携わったとされる真紹(しんしょう)または長慶天皇の墓として、石が積まれた塚があります。毎年10月には、満1~2歳の子どもによる泣き相撲、稚児相撲が行われます。
平安時代に弘法大師が教えを説いて各地を巡り歩いていた際にこの地に立ち寄り、地蔵菩薩立像を刻み、お堂を建てたのが起源とされています。その後、江戸時代にこの地に生まれた浄厳和尚(じょうごんわじょう)が20年余りの高野山における修行ののち、1677年薬樹山延命寺と号し、再興しました。昔この辺りは薬草が多く、また浄厳の父・道雲は医術の心得があり、よく難病を治したので、父への感謝の心もあって薬樹山と号したと伝えられています。また、浄厳は江戸に招かれ、徳川5代将軍綱吉をはじめ、諸大名からの帰依を受けました。
境内には、重要文化財の木造釈迦如来立像、絹本著色伝地蔵曼荼羅図のほか、市指定文化財の木造薬師如来坐像、前述の弘法大師が刻んだとされる地蔵菩薩立像、浄厳の墓など多くの文化財があります。さらに、寺の敷地である山全体が紅葉の名所として知られています。特に樹齢1000年ともされるカエデの巨木は弘法大師の手植えと伝えられていて、夕日に映える美しさから「夕照(ゆうばえ)もみじ」と呼ばれ、府の天然記念物に指定されています。10月下旬から11月下旬にかけての晩秋は、新河内長野八景二勝にも選ばれている大阪府立公園「延命寺の紅葉山」の全体が、美しい紅葉に包まれます。
ここからは歩道がなく、自動車と並走して車道を走るルートが続きます。河合寺まで約75mの坂を一気に下るので、スピードにも注意して運転してください。
寺伝によると、当時の天皇の命令を受けて蘇我入鹿が創建したとされています。かつては河南三大名刹として数えられ、9世紀前半には多くの子院を抱えていたものの、楠木正行が戦死したのち、足利氏に攻め入られ、一夜で大伽藍、寺宝ともに焼失したと言われています。現在、国指定の重要文化財も所蔵している内部は非公開となっていますが、山門の脇の山道を上ると、「奥河内あじさい公園」があり、シーズンには綺麗なあじさいを無料で観賞できます!
1848年刊行の「西国三十三所名所図会」にも描かれた諸越橋は、1745年の文書に初めて存在を確認できる内容が記載されており、昔から河合寺地区と長野地区を繋ぐ重要な架け橋です。ここから市街地を通ってラストスパートです!
お疲れ様でした!奥河内サイクリングコース最長の約36kmを走り終えました。河内長野を走り抜けたパートナーの自転車を返却し、ここ、くろまろの郷で一休み…♪ミルクが濃厚なソフトクリームや期間限定のスイーツもあります!小腹がすいていたら、施設内のパン工房で、河内長野産の小麦も使用したバラエティ豊かなパンはいかがでしょうか?石窯で焼き上げたピザもオススメで、舌鼓を打つに違いありません!体を休めた後は、河内長野の特産品や河内長野近郊で収穫された野菜やフルーツをお土産にいかがですか??
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