江戸時代も終りごろになると、幕府を倒して天皇を中心とした政治の仕組みを打ち立てようとする動きが生まれました。倒幕運動の先駆けとなったが文久(ぶんきゅう)3年(1863)に起きた天誅組の乱です。この天誅組は本市にも縁が深く、一行は三日市宿で休息し、観心寺を参拝したあと、奈良の五條代官所を襲撃したとされています。写真の石碑は、天誅組が宿をとった旅籠(はたご)である油屋の跡に建てられています。
江戸時代の高僧、浄厳(じょうごん)が延宝(えんぽう)5年(1677)に創建したといわれています。浄厳は、招かれて江戸に赴き、5代将軍の徳川綱吉や諸大名からも帰依を受けました。
https://kankou-kawachinagano.jp/spot/detail.cgi?id=3弘法大師の高弟、実惠(じちえ)が、天長(てんちょう)2年(825)に修験道の寺院であった雲心寺を整備して、山号を檜尾山、寺号を観心寺に改めたのが寺の中興であるとされています。戦国時代に描かれた絵図には中心伽藍(がらん)をはじめとして多くの子院(付属寺院)が描かれています。また、観心寺は楠木正成ゆかりの寺としても知られ、正成を尊敬する中山忠光ら天誅組一行が五條代官所を襲撃する前に訪れ、楠公首塚で決起したと伝えられています。
https://kankou-kawachinagano.jp/spot/detail.cgi?id=1